齋田

明けました。

みなさま、明けましておめでとうございます。
他の人が書かないので、私が書いちゃえ、と筆を執る咲いたです。

2016年も始まりました。
学校関係は年度で動くので、新しい年になっても
なんとなく、前からの引き続きのような感じは私の中ではありますが、
新しい気持ちで走ります。

今年は大きくいろんなことが変化すると思います。
その変化の中で自分が少しでも
「責任」を取れるような力をつけることが出来たらいいなあと思っています。

日々精進してまいりますので、
今年も宜しくお願い致します。

国を越える。

こんにちは。順応性だけはありそうな、咲いたです。

少し前に、「インターナショナルな人とはどういう人を指すか」というテーマで
中学生と議論しました。

考えやすいように材料として取り上げたのは、
梅嶋さんはインターナショナルな人だけれど、
咲いたはインターナショナルな人だとは思わない。
という視点です。

2人とも英語は話せる。
外国でも仕事をする。
海外の人とも仕事をする。

さて、なにが違うでしょう。

中学生からいろんな意見が出ました。
みんなそれぞれ違う観点を持っていて面白いです。

グローバル人材、国際人、インターナショナルに活躍する…
世界を目指した言葉がさらに流行っている気がしますが、
みなさんの定義はなんでしょうか。


ちなみに、咲いたの「インターナショナルな人」の定義は、
1.コミュニケーションの道具
2.コミュニケーションの内容
この2つを持ち合わせている人のことを指します。
梅嶋さんなら、1.英語と論理的なコミュニケーション2.ネルギーやインフラ
浅田真央ちゃんなら1.スケート2.スケート
みたいな感じです。
(たくさんの異論はあるでしょう。)

私には、2が足りないですねえ。
そんな自分の足りない部分を凝視しつつ、
今日もがんばりたいと思います。


なんとかメソッド。

どうも、英語教育の在り方について、細々と裏方で考え続けている、咲いたです。

大学院の時作った「可能な限り多くの高校生が英語で会話できるようになる英語プログラム」は
英語が苦手(嫌い)な生徒でも楽しさをできる限り提供しつつ、
英語を話せるようになろうというコンセプトで作りました。
でも、まだ普及しているモデルではないので、
私のレッスンを受けてくれる生徒は英語に対するやる気があります。
その場合は、もっと方法を変えて、レッスン内で更に「使う」というところに重きを置いて、
訓練的な方法を取り入れてもいいんじゃないかと考えるようになりました。
これからその方法を模索しようと思っています。
楽しみです。
(小学生の日記)


できる限り少ない知識と自動化の部分は自分の中で変わらないので、レッスン方法を探ろう。

英語を学ぶときは、ぜひナルシストで。


どうも、迷える子羊、咲いたです。メェメェ。(ちなみに英語ではバー。)

世界は言葉によって支配されていると、大学の時に聞いてから
ずっと、それについて面白いなーと思っていました。
例えば、日本語ではオオカミという言葉があるので、
犬とオオカミは分けて考えられていますが、
犬とオオカミを分けていない言語があります。
その言語を話す人たちは、日本語でいう犬とオオカミを同じくくりで捉えているそう。
言葉があるから、世界を区別したり、認識したりしてるという考え方です。
(違いが物理的に認識できないわけではない。)

他には、日本人は虹は7色といいますが、
他の国の人は7色だと思っていない人たちもいます。
興味があったらGoogle先生に聞いてみてください。

今日それに関する面白い記事を見つけました。
使う言語が「世界の見え方」を決めている:研究結果
http://wired.jp/2015/05/18/language-changes-your-view-of-the-world/

私も経験から日本語・英語・中国語、それぞれで友達と話しているとき、
ちょっと人格違うなーとはいつも感じていました。
みんな結構感じることあるんじゃないでしょうか。
悪いニュースだけど、フィリピンで悪さをしていた日本人男性が
「英語を話していると自分が強くなって相手を支配しているように感じていた」
という犯人のコメントが印象的です。

私は、上司と英語で会話するやりにくさとかもあります。笑
上司を呼ぶときでさえYouで言っちゃえるからです。
上司のことYouって呼びにくいなー。
日本人じゃなかったらそれが普通だと思えるんだけど。

また、言語能力自体に自信がないのもありますが、
英語は曖昧な表現がなく(語彙力の問題もあり)、
やんわり表現にすることができないのがつらいです。
日本語だと、文末を濁したり、「〜ですよ」「〜ね」とかで
押し付けない感を演出することが可能なのですが、
英語だと動詞は主語の次にあるし、「よ」とか「ね」とかつけないので、
スパーン、スパーンって言い切っちゃってる感じがして、
自信のない議論とかには、個人的には話しにくいことこの上ないです。

外国語を学ぶと、こういう面白い経験ができます。
ぜひどうぞ。

次回は8ヶ月後。

「次回、これについて詳しくご紹介できたらいいなと思っています。」と書いて、
「次回」が8ヶ月後だった、咲いたです。
こんな感じですみません。

みなさま、新年あけましておめでとうございます。
そして、もう桜も緑になりましたが、新年度もわくわくしていきたいと思います。

「次回」を忘れていたわけではありません。
ああ、あれは論文の仮説が著しく変化している時期じゃった…。
あの時期は大学院での研究の仮説のキーポイントの1つが
「単語は『意味・いつ・どのように』学習する上で大切」だったのですが、
あの後、文献レビューするにしたがって仮説くるくると変わり
『意味・いつ・どのように』をここで説明する余裕が
なくなりました、という言い訳をして、ごめんなさい。
そして、『意味・いつ・どのように』に関しては 
Diane Larsen-Freeman (2003)
“Teaching Language: From Grammar to Grammaring”
に詳しく書かれています、という卑怯な逃げをしてごめんなさい。

大学院も無事卒業させていただき、
研究開発した英語プログラムを実践の段階に移したいと考えています。

中国語、忘れた。

大家好!
我没有机会说汉语呢.越来越忘记!怎么办?
中国語を話す機会がなくて、記憶の片隅に追いやっている咲いたです。

中国語の習得は自分でもなかなか成功したと思っています。
ただ、3ヶ月というスピードだったので、詰め込みと実践を掛け合わせながら、
結構自分にムチうちました。
(もっと楽しく学んでもよかったんですけどね。)

中国語レベルゼロで中国に飛び込んで、(初日のレベル分けテスト、白紙)
3ヶ月で、地方の中国人と間違われるという感じ。(訛りがあるということ)


まずは、単語を覚えまくりました。
自分が「これが言いたい」と思った単語を調べてそのつどノートにメモ。
留学生同士、韓国人の友達と早く話がしたいという一心でした。
みんなとっても、いい友達ばっかりだったから、
私が辞書片手に、言いたいことを言おうとしているのを待ってくれたり、
手伝ってくれたりして、時間をとらせてしまって、申し訳ないし、
もっと意思相通がしたいと思って、必死で調べた単語を覚えました。

少し中国語が話せるようになると、
中国人の友達もできてきて、そのあたりからは、かなり中国人の友達と一緒にいるようにしました。
(留学生は基本、同じような単語で会話ができてしまうから。いつか、お話したいですが、これは決して悪いことではありません。)
それでも、いつもメモ帳片手に、相手が言ったことがわからないときは、単語を書いてもらっていました。
で、あとでそれをたすら覚えるのです。


このようにして覚えた単語は、「使える単語」です。
単語は「意味・いつ・どのように」の3つが大切なのです。
語帳から得る単語ではなく、実際、自分が使う状況になって、
もしくは、そういう機会がなければ、その状況を想定して、
単語を自分の中から選び出すのです。

これで、3ヶ月くらいで話せるようになりました。
もちろん、すべての話題において難なく会話できるというわけではないですが、
自分の言いたいことは稚拙な単語を駆使して表現できるレベルになりました。



大切なので、繰り返します。
言語の知識は「意味・いつ・どのように」がポイントです。


次回、これについて詳しくご紹介できたらいいなと思っています。

話してみること。

どうも、論文迷子中の咲いたです。


この前、私、英語が話せるようになってまだそんなに長くないということを書きました。

言語って、話せるようになってしまうと、話せなかったときのことを忘れてしまうのですが、
(自転車の乗り方みたいに)
私は、言語を「無理やり」学ぶことが大嫌いなので、苦い思い出がたくさんあって、
話せなかったときのことは、いつまでも記憶に残っています。笑

短期留学してたとき、英語が話せないために、
クラスメイトに遊びに誘われても、断ってしまっていた私がいました。
あー、今思いだしても、本当に切ないですね。
あたしゃ、国公立大学の英文学部だぞっってそんなん、
全然、全然、まったく、意味のない肩書きです。
今でもとても鮮明に覚えています。
「Yuriも一緒に映画観にいかない?」
「…いい。」

英語圏には1ヶ月くらいの短期留学しかしたことがないのですが、
毎回、日本人とつるんで、英語が話せるようにならなかったですね。
日本人に逃げるタイプのやつです。
(今、書いてて思いましたが、私も留学失敗組みや!)
私って、実は内気なんです。チキンだったんです。

だから…というわけではないですが、
生徒が必死で英語を話そうとしてくれる態度はとっても感動的で、うれしいです。
英語での苦い経験があるからこそ、生徒がぺらぺら英語を話さなくてもいいと思えます。
まずは、ゆっくりでも、英語を使ってみるっていうことが大切です。
みんなのもどかしいという気持ちは、痛いほどわかるので、時間をかけて学んでください。

外国人の大阪弁。

どうも。実は、英語が話せる歴、そんなに長くない咲いたです。


昔、オーストラリアにいたとき、ちょっと参加したミニツアーでのことを思い出しました。
ミニバンで、6人くらいで旅をします。
参加者は、日本人や、ドイツ人、イギリス人のかた。
運転手兼ガイドさんは、生粋のオーストラリア人でした。

結論から言うと、私の英語力のせいもあったでしょうが、(6年くらい前)
ガイドさんの言っていることはまったく理解できませんでした。
だから、ツアーの4割くらいは損してると思います。笑

でも、一緒にいたイギリス人のおばさんが言ったのです。
「あの人、訛りが強すぎて、何言ってるのかわからないわ」って。


まだまだ英語のことも、世界のことも全然知らなかった私ですが、
(今もまだまだ世界は広くなるばかりですが)
英語圏の人にもわからない英語ってあるんだなーって始めて知りました。
英語なのにわからないんだと。

そう考えると、「ネイティブの発音」って何?ってことになりますよね。
イギリス人のおばさんから学んでも、「ネイティブ」だし、
オーストラリアのおじさんから学んでも、「ネイティブ」になります。

理解し合えるレベルなら、お互い訛りまくってても、いんじゃないー?ってことです。
「ネイティブの発音」じゃないと恥ずかしいとか、そんなこと考えなくってもいんじゃないー?ってことです。
それが、「世界共通語」としての英語です。


そうですね、モデルは、
英語訛りの大阪弁っぽい日本語を話す外国人とかにしましょう。


PS:私自身、英語が話せるようになったのは、ここ数年です。ははは

ポジティブ連鎖。

七夕の夜はいつも、くもりだなーと何気に天気を気にしている、咲いたです。
(「気」が3つも出てきた!笑)

七夕にさいた英語のレッスンで、「七夕のお願いは何?」と生徒にきいたところ、
平和メッセンジャーになって、平和について国連で僕の意見を言いたい。
といった生徒がいました。
(こういうところで発表してもいいものなのかな?…といいつつ、書いてる。)

最近、思うのですが、私が英語を教えた生徒が、
英語を話せるようになって、私が助けられない人たちを
彼ら・彼女らが助けることができたらいいなと思います。

身近な問題然り、世界のいろんな問題を見ると、自分の無力さにやるせなさを感じますが、
自分が今できることをして、それが良い連鎖を起こすといいなって思うようになりました。


P.S:題名を書いて、パズルゲームがおもいうかびました。

意外な反応。

どうも、夜の雨の音が好きな咲いたです。

今週末、中部地区英語教育学会三重支部の会でわたしの研究について発表させていただきました。
(英語教育に関する研究/実践発表または講演を行い意見交換をする会です)

学会的なものは、今回が初めてでかなり緊張していました。
しかも、高校の先生や、他の大学の教授なんかも見えて…
しかも、持ち時間は1時間。とても貴重なお時間と機会をいただきました。

今まで、先生方にはあまり受け入れてもらえなかった研究なので、
今回もボロボロに言われるんではないだろうかと、覚悟していました。



ところがすっとこどっこい。



もう、私としては、予想外もいいところのご意見をいただいて、本当ににびっくりしています。


思いだけでなく、理論と根拠とともに主張すれば、(論理コミュニケーション)
こんなにいいアドバイスや御指摘をもらえるんだということを改めて経験しました。
論理コミュニケーション!
(このような会に積極的にみえる先生方は、挑戦している方々なので、
新しいことを受け入れてくれるというのはあると思います。)


先生方にいただいたポジティブな御指摘、ご意見をもとに、
これからも研究を重ねていきたいと思います。

修論がやばいんじゃないかと、今からドキドキです。

国際化。

どうも、お久しぶりです。大学の図書館に引きこもりの咲いたです。
今年度に入って、研究中の英語教育プログラムの2つ大きな柱の
1つを変えてしまう決意をしてから、迷子になっています。

だいぶ前から「国際化」と騒がれていますが、最近、
さらにこの言葉をよく耳にするような気がします。
そこでいつも問題になるのは、英語力です。
「国際化」=「英語力」ではナイ!のですが、
じゃあ、英語はどうなのかというと、
英語は、もう当たり前のような存在になっているんじゃないかと思うのです。
例えば、大学では、英語でのコミュニケーションができないために、
留学生を受け入れられないという状況になっています。
積極的に日本にやってきた留学生も、取れる授業が限られてしまうので、
日本の大学をあまり選ばなくなっている。
というのを、聞いたり、実際に見たりしています。
そうすると、日本の大学のランクとかも下がって、
またわーわーなりますよね。
国際化で人が簡単に出入りできるようになった今、
英語って、インターネットのようにもう本当にあって当たり前のようなものになったと思います。

リーダーの会議に通訳として同行させてもらうとき、いつも、
「英語はもう当たり前の世界」をたたきつけられます。
そして、ときどき、通訳の私が必要なくなります。
そんな現状を生徒に感じさせてあげられたらなと考えつつ、毎日文献をあさっています。


私信
仁藤先生の私信、受け取りました。

バベルの塔再び。

新しい携帯にしたときって、説明書読みますか?


1. とりあえず、電話やメールができることが大事
電話とメールの機能をどのように使うか、というところでは初めてというところもあり、
少し慎重に操作などを確認しながらやるかもしれませんね。場合によっては、説明書など読んだりするでしょう。
使っているうちに、もう電話とメールはプロ。電話帳から簡単に電話をかれられるし、
タイピングも速くなるし、絵文字やショートカットなども使いこなせるようになりますよね。

2. そのほかの機能もいじってみる
携帯電話の基礎機能の電話とメールがわかったら、ほかの機能については、
携帯をいじりながら理解していくことってないでしょうか。
たとえば、カメラとか、わざわざ説明書を見なくても、いろんなボタンを押してみて、
前後カメラの切り替えだったり、シャッターボタンを見つけたり、ビデオに変えてみたり。
撮った写真は、わざわざアルバムを開けなくてもカメラからジャンプできるんだーってことなどを
使いながら理解していく。失敗もあると思います。
例えば、シャッターボタンのつもりが、間違えてホームボタン押してしまったり
(iPhoneユーザーさん、理解してほしいです。笑)、
アルバムからどうやってカメラに戻るのかわからなくなったり。
そんなこんなで、いろんな携帯の機能を学んでいきますよね。
1ヶ月もすればもう、目覚まし時計や、電卓、カレンダー、他のアプリなど使いこなしてるんじゃないでしょうか。

3. たまにある新発見
もう基本的にはなにも困ることはないユーザーなんだけど、
友達の使い方をみて新発見があるときはないですか?
ホームボタンと上のボタンでスクリーンショットが撮れる(iPhone)とか、
ホームボタン長押しでSiriを呼び出せるとか。(私、これまさに、最近教えてもらいました。笑)
基本は使えるので、なにも不自由はないのですが、新たな機能を知って、更にレベルの高いユーザーに。


英語を携帯電話と同じコミュニケーションツールと考えれば、この方法と、
これくらいの気軽さで学べばよいと思っています。
文字を打つときは絶対フリック入力!とかないでしょう?ローマ字打ちでも平仮名打てます。
それで、どっちの人も文字を書いて、コミュニケーションできてる。
スマートフォンでフリック入力してない人を笑うなんて、ばかばかしいでしょう?そんなの人それぞれじゃないですか。


「英語は津波のように他の言葉を消し去ってしまうものではない。(中略)
英語はアメリカが強制しているのではない。世界が必要としているのだ。」(下のTED動画より)


携帯電話みたいに、みんなが使うものだとして、それでみんなコミュニケーションしていて、
そこには、「正しい、唯一の使い方」なんかないとしたら、英語もそれと同じ状況になっていると思います。
使うための最低限の共通のルールはあるとしても、通じ合うことが第一の目的だとしたら、
発音が変だとか、ちょっとした文法が間違ってるとか、気にする必要はありません。

「英語は世界共通の問題を解決するための共通の言語となりうる。」(下のTED動画より)


昔神様がバベルの塔を作った人間たちにバツを下しました。
お互いコミュニケーションできないように、それぞれに違う言語を与えました。
みんなでコミュニケーションできるようになったら、また、協力できるようになりますね。



English Mania(動画)
http://www.ted.com/talks/jay_walker_on_the_world_s_english_mania




英語を学んで英語圏の文化を学んだり、素晴らしい美しい発音や表現を身につけることを批判しているわけではありません。
英語が好きな人はネイティブのように話せることを目指せば良いと思います。
ただ、それを目指すあまり、英語をのびのびと話せなくなるのは残念だなと思います。
また、それによって英語嫌いの生徒が増えるのももったいないなと思います。
携帯電話を試行錯誤で学んで、ある程度使えるようになる。
そんなゆるさを残した英語教育していきたいです。

ある意味同時通訳。

外国語を母語を介さずに外国語で思考できれば、そこには翻訳という作業は入らないのですが、
一度日本語で考えて、それを英語で発信するということをしているうちは、それは翻訳であり、
会話の場面であれば、ある意味一人同時通訳しているんだと思うのです。

私も、簡単なことは英語がぱっと口から出ますが、普段話し慣れてない話題になると、
まず日本語で思考して、それを英語に変換するという作業をものすごい速さで行っています。
そう考えるとやっぱり同時通訳なんじゃないかと思うのです。

では、一人同時通訳をスムーズにできるには何が必要か?
それは「イメージ」なのではないかと思います。
母語なら、「イメージ→母語」をほぼ一瞬でできます。
それが、外国語になると、「イメージ→母語→外国語」という流れになり、考えることが大幅に増えます。

具体的には、こんな感じでしょうか。
1.イメージが日本語で浮かぶ。(ここは超高速)
2.日本語に合う英単語を頭の中で探しまくる。たくさんの引き出しを開け閉めする。(語彙)
3.そんなこんなでやっと見つけた英単語を並べる。(文法)
こんな経験ないですか。
私は今でもあります。
2と3でかなり時間がかかってしまいます。
これを少しでも短縮するのに大切なのは、「イメージ→外国語」という流れ。

イメージから英単語がぱっと思いつくのがよいなと。
だからこそ、学ぶ時に「外国語→イメージ」にしてしまおうと。
「外国語↔イメージ」この繋がりが大切だと考えています。
これで、少なくとも2はスピードがあがると思います。

私のテキストでは、イラストがたくさんあって、
イメージで英語を考えられるようにしたいなと思っています。
頭の中にたくさんの引き出しを作るのではなく、
ほわわ〜んとした雲がたくさん重なり合っている感じが理想です。




「外国語としての英語を考えるとき、意味情報として無視できないのが訳語である。
訳語を使うことによって、母語で形成された意味概念を容易に英語の語彙に適応できるからである。
しかしながら、訳語自体と意味概念とは情報としては別個のものである。
(中略)したがって、語彙指導の過程においても、訳語を媒介としながらも、
イメージを活性化するなど語形と概念を直接結びつけられるような方策をとる必要がある。」
(門田・池村『英語語彙指導ハンドブック』)






ほわわ〜ん、ほわわ〜んがゆるくあれば、
若干イメージ間違えたとしても、相手は理解してくれるんじゃないかなーって。
例えばwatchとlookとseeとか。

中国語ではヨーグルトを飲むって言います。

「言葉を学ぶことは、その文化を学ぶこと」とよく言われますが、まさにその通りだと思います。
言葉を見れば、その言語を話す人たちが、その対象をどのように捉えているのかがわかるからです。

例えば、
日本語「薬を飲む」
中国語「薬を食べる」吃药
英語「薬をとる」take medicine

こういう違いを知ったときの面白さというのは、言葉を学ぶ上でたくさんあると思います。
でも、こういうことに興味のない人や、とにかくそんなことよりもコミュニケーションできるようになりたいと
考えている人にとっては、言語を学びながらその文化を垣間見て楽しむというようなことは必要ないでしょう。

しかも、英語については国際共通語となっている今、
コミュニケーションツールとして学ぶことのほうが多いかもしれませんね。
非ネイティブ同士で話すことなどを考えれば、
お互いの母国語が英語に反映されてしまっている可能性が大ですので、
そういう点からみると、英語はその時点で、「英語圏の言語」以上のものになってしまっているように感じます。

私の考えている英語教育プログラムも、英語を学ぶことを通して英語圏の文化を感じるというよりは、
英語を使ってコミュニケーションできるようにしよう!というのが一番の目標にきているので、
テキストを学びながら特に英語文化を学ぶようにはなっていません。
「英語圏の文化や、きれいな英語を身に付けることが大切だ」という意見をきくたびに、
自分の考えていることが言語化できずに、むむ…となってしまっていたのですが、
以下の本を読んでいて、なるほどなーと思わされました。


"But Globish does not aim to be more than a tool, and that is why it is different from English. 
English is a cultural language."
(Jean Paul Nerriere, David Hon "globish - The World Over")

(※グロービッシュ(globish)とはグローバルに使える共通語を目指して
フランス人のジャン・ポール・ネリエールが提唱した、英語の一種です。)


私の考えている英語教育プログラムの英語の位置も
まずは、「コミュニケーションツール」以上にはなり得ないなと思います。

チュンチュンチュン、チューンチュン。

鳥の鳴き声を聞き続ければ、理解できるようになるか。


個人的にはならないと思います。
でも、例えば、ずっと鳥を観察していて、
なんらかの、パターンを見つけて、
チュンチュンと言っているときは、あいさつだなとか、
チューンチュンと言っているときは、愛を伝えているなとか、
理解できれば、また話しは変わってくると思います。

つまり、言葉を理解するには、「気づく」ことが大切なのです。
気づきがすべての始まりだそうです。
赤ちゃんが言語を習得するときも、
お母さんに「いぬ」を教えてもらったときは、
動物全部を「いぬ」と認知するかもしれません。
けれど、その後経験により、「いぬ」は大人が認識する「いぬ」に近づいてきます。
「気づき」があり、「理解」してゆくのです。
 

よく、友人に「本当に聞いているだけで英語が話せるようになるのか」と聞かれますが、
私の答えは鳥の鳴き声の話と同じです。
ときどきでも、何を言っているのかわかれば、身にはなると思います。
全然、さっぱりなのであれば、だめだと思います。
「英語のラジオを聴き続けて、いきなり理解できるようになった!」というのをたまに聞きますが、
それは、すでに英語のみを聞き続けてもよいレベルだったからだと思います。

しかも、「話せるようになる」かどうかについては、個人的には難しいと思います。
ただ、大量のインプットのみで、「話せるようになる」という研究結果もあります。
また、何を話せようになるのか、というのも大きなポイントだと思います。


「まったく理解できないインプットを大量に聞いたとしても、
このような気づきは起こらない。例えば、英語を始めたばかりの中学1年生にCNNのインタビューを
聞かせても、理解ができないばかりでなく、気づきもほとんど起こらないはずである。
インプット全体の意味はだいたい分かるが、分からないことも少しある。
そのようなインプットが言語習得を促進する気づきを引き起こすと言えよう。」
(村野井仁『第二言語習得研究から見た効果的な英語楽手法・指導法』)
を読んでいて、自分の考えは間違ってなかったなと思いました。

毎日電子計算機で仕事をしています。

個人的にカタカナは英語学習に役に立つと思ってます。
なぜなら、その分新しい英単語を覚える手間が省けているから。
たまに、「あ、これ英語だったんだ。ラッキー」というときがあります。

もちろん、負の効果もあります。
日本語で使われている意味と、英語で使われている意味が違う場合や、発音が全然違う場合はちょっと大変です。

例えば、メリットでいうと、
トイレとか、ホテルとか。
カタカナじゃなかったら、他の単語と同じように覚えなくてはならないものが身の回りにたくさんあります。

デメリットは、例えば、
パソコン、テレビとかの、略称。
コンセント、のような英語にはないカタカナ。
ブレスレット、のような発音がかなり違うもの。ブレェィスレット的な。(経験済)
デメリットは、どれだけ英語っぽく発音しても伝わりません。笑




「カタカナ英語は百害あって一利なし!」と力強く言っていた英語教育の教授がいて、
じゃあ、この人は娘に「受像機の遠隔操作機とって。」とか言ってんのか?
と皮肉を考えてしまったのをふと思い出しました。



P.S カタカナだと固有名詞みたいに使われていて、意味がわからないけど、
それをを漢字に直して、その意味がはっきりわかるのは、個人的に好きです。
リモコン=遠隔操作機、みたいな。その点では、中国語は全部漢字にしちゃうので、いいなーと思います。

はい、いいえ。Yes.No.

「本当に要らないの?」「うん」(うなずく)


は日本語で、これをこのまま「うん」=”Yes”に翻訳すると英語ネイティブには逆の意味にとられます。
つまり、「本当に要らないの?」「Yes(要る)」ということです。
私はこれを昔経験してコミュニケーションがぐっちゃぐちゃになった思い出があるので、そこから気を付けるようになりました。

ですが、アジアの友達と英語で話しているとどうやら母語が日本語と同じ構成のようで、
英語で話しているんだけど、「うん」=”Yes”でコミュニケーションしています。
お互いの母語の特徴がそのまま英語に現れて、それでいてコミュニケーションが成立しています。

というわけで、私の中でこの部分のプライオリティをかなり下げました。
生徒が間違って使っていても、むしろ修正しな…(略) 
これを使いこなすには相当時間がかかりますし(経験則)、アジアで通じてるならいいかと。
ネイティブとコミュニケーションできなくなったときには、Yes/No以外で答えればよいかなと。
「本当に要らないの?」 「I don't」っていえば完璧かなと。



Yes/No問題は日本人がとても気にするところですが、時間がかかるうえに、代替があるので、
もっと他の大事なところに時間をかけたほうがよいなーと考えています。




「外国語を身につけようとするならば、「教わり慣れ」した学習態度を捨て去り、試行錯誤を繰り返し、
誤解や摩擦を経験しながら学ぶ姿勢をもたなければなりません。」 (『日本の英語教育に必要なこと』)
を読んでいてふとそんなことを思い出しました。

読めない私からすれば、読めることも大切なのですが。

多くの高校生は、見たら意味がわかる単語はたくさんもっています。
けれど、それらを使って自分の言いたいことを表現できるかといえば、必ずしもそうではないです。

見てわかる単語が多いです。(受容語彙)
でも、表出できる単語は少ないです。(発表語彙)


受容語彙を増やす理由は、英語を学ぶ目的が大学受験だからだと思います。
文章を読んで、問に答えるには、見てわかる単語がたくさんあったほうが、有利です。
高校生と話していると、英語が話せるようになることよりも、目の前の大学受験のほうが大切みたいです。
私も高校生のときは、そうだったので、理解できます。
というか、それしか選択肢がない感じ。

中・高6年を通して3000語の受容語彙を覚えてセンター試験で8割とるよりも、
1年間で、500語の発表語彙を身に付けて、外国人とコミュニケーションできるようになったほうが楽しいと思うので、
そんな機会を与えてあげられるようになりたいですね。

なので、英語を学ぶ目的を大学受験ではなく、
人とコミュニケーションすることにして、
単語も大幅に減らして、テキストVer2.を作ろうと思っています。
Ver1.はなんの理論背景もなく、ただ経験則で作ってしまったので、
Ver2.はぜひ、理論的に説明できるようなテキストに仕上げます。


(何度自分の案を提示しても、いろんな人に毎回めった斬りにされるので、
めげそうですが、がんばります。
まあ、根拠が明示できてないので、自分のせいです。)


「英語のように分析型言語では、語の数よりむしろ語の内容、理解の質が問題となる。
外国語学習ではとかく単語を覚えることに夢中になるが、意味がよくつかめないままたくさん覚えても、
実際にその語をうまく使うことはできない。
ただ、語数といっても受信(認識)用と発信用との区別は考えなくてはならない。
受信のためには語も多くしっている方が有利であるが、発信には少数でも使いこなせる語の方が便利である。」
(相沢佳子『ベーシックイングリッシュ再考』)
を読んでいてそう思いました。

バカにしてきたら、残念な人だと思おう。

「何言ってるかわからない」と言って、日本人の自信をなくさせ、
有利なコミュニケーションの流れを獲るという戦略があるそうです。


日本人の性質をよく知っているなーと。

日本人の英語発音は、確かに世界でも評判みたいです。
でも、それって、しょうがない。ですよね。
アメリカ人が日本語を話すときに「スゥーシー!」となるのと同じで、
自分の母語の舌の使い方とかっているのはそんなに簡単に矯正できるものではないです。
だから、本当はそんなこと気にする必要ないんです。
なまってても、外国人の日本語って理解できますよね。


Englishesという考え方があります。
English+es (複数形)
つまり、英語は一つではなく、たくさんあるということ。
英語が世界共通語として使われるようになって、
イギリスや、アメリカやオーストラリアで話される英語がすべてではないようになりました。
ネイティブよりも、ノンネイティブの方が英語話者が多いので当たりまえなのですが。
お互いに「理解し合う」ためにコミュニケーションするのであれば、
もう少し歩み寄って、話し手も相手に伝わりやすいように、
聞き手も相手が何を言っているのか理解するように努めれたらいいなと思います。
世界共通語としての英語なんだから、そういう姿勢でいきたいですね。


英語を学ぶのは確かに難しいんですけど、
でも、もっとネイティブ以外の人たちとも、
完璧じゃない英語でコミュニケーションしてみてほしいなと思います。




「国際共通語としての英語とは、自分らしさを出したり、
自分の文化をひきずったりしてもいいということ。
『アメリカ人はそういわない』と言われれば『日本ではいうんだよ』と答えればいい。」
(鳥飼玖美子『国際共通語としての英語』)
を読んでてふと思いました。