2015年10月

なんとかメソッド。

どうも、英語教育の在り方について、細々と裏方で考え続けている、咲いたです。

大学院の時作った「可能な限り多くの高校生が英語で会話できるようになる英語プログラム」は
英語が苦手(嫌い)な生徒でも楽しさをできる限り提供しつつ、
英語を話せるようになろうというコンセプトで作りました。
でも、まだ普及しているモデルではないので、
私のレッスンを受けてくれる生徒は英語に対するやる気があります。
その場合は、もっと方法を変えて、レッスン内で更に「使う」というところに重きを置いて、
訓練的な方法を取り入れてもいいんじゃないかと考えるようになりました。
これからその方法を模索しようと思っています。
楽しみです。
(小学生の日記)


できる限り少ない知識と自動化の部分は自分の中で変わらないので、レッスン方法を探ろう。

安定した世界ってなんだ?

毎日授業をして、生徒の答案をみて、自分の授業を見直していると
自分の仕事が”安定”しているとは全く思えません。
(安定の定義が、大幅な変化をしなくていいことなら・・・)

変化させなきゃ。
変えなきゃいけないところがいっぱいある。
社会が変化しているから、自分の授業も変化しなくちゃ。

でも、前年やったものがあるとゼロに戻しての変化に労力がかかります。
それにより微調整しか出来ていない自分もいます。
でも、来年度に向けて自分自身を一度破壊しようと思っています。
その破壊によりまた大きな成長が出来たら。

破壊的イノベーションを起こすには、変化を恐れないことだ。


仁藤

楽しさをエンジンに

いま、グループ内で話し合っていることは
楽しさをエンジンにしないと、何事も継続できないということ。

研究計画書を書くというカリキュラムを実行していますが、
自分自身の研究をまずは楽しまないと仕上がらないし
仕上げるまでの読解・記述を継続できないと思うのです。

じゃ、生徒のみんなが自分の研究を楽しめるように
なるためにはどうしたらいいのかなーって考えると
すごく難しい。どう促したら楽しくなってくれるんだろう…。
いま、そんなことをうーむと考えています。
私自身の高校時代を思い出すと、自分の意見を自由に考えるということが
楽しくて仕方なかった思い出があるんですよね。
いつもの暗記とか与えられる授業内容ではなくて、何でも自分で
創っていいという授業・機会が楽しくてしかたなかった。
いま、研究計画書を書いているみんなは楽しめているだろうか。
それがずっと気になります。

楽しさって、自分で見つけるものだと思うんですよね。
何に対して楽しいと思うかは人によって違うと思うんです。
その自分が楽しいと思えるテーマを考え、探し続ける力が
大切なのかなとも思ったり・・思わなかったり・・。
じゃ、その探し続ける力をみにつけるには、先生としては
何がしてあげられることなのだろう…と。悩みはつきません。

論理コミュニケーションの基礎の授業も同じで、
書くこと、人とコミュニケーションすることを楽しい!と思えるようになったら
あとはもう先生のサポートなんて必要なくて、
自分で書いて伝えて何度も修正していきながら
自分なりのやりかたを模索すればいいと思うのです。
こうすれば伝わるという正解はないのだから…。

でも、まだ論コミのカリキュラムにはその楽しさを促す
見つける?仕組みが足りないと思っております。

これをここ数か月のテーマにして考え続けます。
生徒のみんなにも試行錯誤して働きかけます。

仁藤