2012年5月

人を動かすということ

こんにちは、仁藤です。

教育問題は、様々な人が当事者なので論者が多い世界です。
「○○すべき」「これまでの教育の○○が間違っていた。」
このような言葉が、現場にいる先生に直接向けられることも多い。
かつて私も論者でした。

でも、考えてください。
そのような”論”がだれかを批判する”ことば”が、教育を新しく変えたでしょうか。
今の教育制度は大きな変革を遂げていません。
結局は、言葉が実にはなっていなかったということです。

なぜなら、批判するだけは簡単なのです。
口で理想論を言うのも簡単なのです。
どちらも、簡単です。
論者ももちろん居ていいと思います。いろんな人がいるべきです。
でも、論者の方は、言うだけは簡単なのだと、常に自戒すべきだと思います。

大変なのは、その理想を形にして一歩進むことです。
実践して失敗して、それでもめげずに実践を続けることです。

そうすると、その姿やつくり上げた形に、人が動かされていく。
具体的な仲間が増えていく。
行動した結果が人を巻き込む「ことば」になるのです。

私は、大学時代からこのことを思っていたみたいで、
先日、5年前くらいに大学へ寄稿した文章をみつけて自分の変わらなさに驚きました。
http://www.sfc.keio.ac.jp/alumni_stories/20070530.html

このようなことを思い出したのも、最近志を共にする方々と多く出会えているからです。
2週間ほどまえは、大阪市立大学と大阪府立松原高校を訪問し、
それぞれの先生方にとっても力を頂きました。
特に、驚いたのは、松原高校の先生方。2名くらいとお話するのかな?と思って
現地に向かったところ、途中で校長先生をはじめとして3名の先生方がいらっしゃり、
合計5名の先生方とワクワクする話し合いができました。
私たちの活動に人が集まってくれるようになり、
その集まってくださった方々の力でまた私たちも動かされていく。
人が動くとは、相互からでるプラスのエネルギーがこんなに充満することなんですね。

私は今、周囲の仲間に、動かされています。
こんな幸せなことはありません。全ての出会いに、そして時の流れに感謝しています。

と思いながら、帰りの近鉄電車のホームで念願だった551の豚まんを頬張った私です。


さらに、最近は関西圏の大学のみなさまから沢山お問い合わせをいただいております。
この場をかりまして、御礼申し上げます。

さて、現在私は2週間ほど新しい挑戦をしています。(連絡が取りづらくなっており申し訳ありません)
実はとある新しい高校で、国語(現代文と古文)と今まで考えてきたコミュニケーションの理念を結びつけて
授業を行うということにチャレンジ中です。
全てが新しいチャレンジなので、上手くいったりいかなかったりと試行錯誤しています。
また、この様子は次回のブログで報告します。

福岡の高校での出会い

今週は福岡から仕事スタートです。
とある高校から、論理コミュニケーションの授業を実施について
前向きなご検討をいただき、この度校内研修を実施させていただきました。

私たちにご連絡してくださった先生が、
「論理コミュニケーション」の本を隅々までご覧になられていて
心から嬉しく思うと共に、身が引き締まる思いがしました。

また、先生の進めてこられた教育理念に共感すると共に、
お互いの話がどんどん共鳴していく感覚がしました。
この先生と一緒に、新しい論理コミュニケーションが作れたらと
ワクワクしっぱなしの、1日でした。
ワクワク、ワクワク。

生徒に、この新しい事を創る時の、
そして新しい仲間が増えた時のワクワク感を伝えたいですね!先生!

そして「生徒が進路を考えるとき、ワクワクするような」社会を
ワクワクするような学校教育を、現場から作っていきたいです。

私たちの活動は、本当に小さな一歩の積み重ねです。
道端の雑草の様にしぶとく、コツコツと積み上げてきました。
これからも、成果は大切ですが、
派手派手しく、形ばかりのやり方ではなく、
こうやって、失敗も成功も経験しながら一歩一歩仲間と共に
歩んでいきたいと思っています。

歩き続ければ、きっとどこかにはたどり着きますよね。
ゆっくり、しぶとく、でもほんわかと進んでいきます。

出会いをくださった皆様、本当にありがとうございます。
期待に応えられるように、しっかり精進します。
ご指導、よろしくお願いいたします。

ということで、福岡での展開のご報告です。
いつものように、写真は撮り忘れました(笑)

関西で講演

先週末は、大阪で講演をさせていただきました。
会場は大きなホテル。
参加者は100名ほどの、関西圏の大学の就職関連の職員の皆様。

一人ひとりの顔が確認できないくらいの会場で
非常に緊張しました…が、途中からそれも気にならなくなりました(性格ですね)

講演では、高校生で行なっている実践の紹介と
体験授業を実施させていただきました。
上手くできたかどうかは、参加したみなさまの評価を真摯に受け止めます。
ただ、講演が終わったあと、沢山の方が名刺交換に並んでくださり、
さらに「うちの大学でも是非やってみたい」
「私が教えてみたい」と言っていただき、本当に光栄でした。
みなさまからかけていただいた言葉を胸に、より一層精進します。

と、ご報告したのですが、写真がないんです・・・。
自分が講演者だったものですから、写真がとれなくて
とても残念…。写真撮った方、ぜひくださーい。

7月にはまた研修会第2弾を行います。
そちらの企画内容も、追ってHPで公開します。

今回出会った皆様、これからもよろしくお願いします。

そして、若輩者である私を講演者として呼んでいただいた
大阪市立大学の大島さま、本当にありがとうございました。
バンコクから駆けつけてくれた梅嶋さんにも、感謝、感謝です。

仲間が加速度的に増えています。
明日は、いよいよ福岡の高校へお邪魔します。
とても楽しみです。

差異と安心

多くの人が、高校に進学し、
そして多くの人が、大学に進学する。
そんな時代です。

その後も、みんなと同じように就職活動して
イイトコロを目指そうとする。

多くの人と同じような道を行くことで
「安心」を手に入れているのかもしれません。

でも、多くの人と同じ経歴を持つことは
それだけ差異がなくなるということではないでしょうか。
差異がなくなるということは、それだけ取替可能になる。

人とは違うこと。
本来、人は一人ひとり違うものを持っているはずです。
その部分を明確化させると傷つくこともあるけれど
差別化することで、逆に他の誰かと取替ができない唯一無二の人材になっていく。

だからこそ、人と違えば違うほど、
違う人生を歩めば歩むほど、
差別化され、世界に自分だけの居場所を築けるのではないでしょうか。
この場合、プロセスは不安定だから安心のない道です。
でも、行き着く先は安心を手に入れます。
”安心”って、そういう自分だけの居場所があることではないかなー。
一方人と同じ道を何も考えずに歩むと、プロセスは安心です。
でも、年を取ればとるほど、行き着く先が不安定に思えてします。

安心したいから、みんなと同じ道を行くと
行けば行くほど不安になるとは、そういうことではないかな。

なーんて、上手くまとまっていませんが、
なんだか、逆説的になっている世の中のことを
ふんふん考えた連休の午後です。

人と違うことを恐れない。
人と違う人を排除しない。
差異があるからこそ、世の中面白い。
だから、お互いを大切にする。

そういうことが、しっかりできる人になりたい。
まだまだ、空が高いなー。

文章を書くことの可能性

さいたです。

見た目以上に人見知りが激しい私が、大学で論理コミュニケーションを教えて3回目、文章のすばらしさについて気付いたことがあります。うわべだけの付き合いだとあまり親身になれないのに、その人の中身を知ると、すごく近づいて感じることができるということです。話しかけても、鎧でガッチガチの学生たちは、文章には本気のことを書くのです。(たぶん)


大学生といったら、私とあまり変わらないし、むしろ混ざっていてもおかしくないような容姿なので、授業は毎回なめられないかどうかとか余計なほど緊張しています。文章を読んだり、書いたりするのが好きな子はあまりいないようで、ぶつくさ文句を言いながら最初にテストを受けてもらいました。そのあとも論理コミュニケーションの内容をしっかり学ぶ前に、力試しでみんなに「一年間で成し遂げたいこと」をテーマに文章を書いてもらいました。やっぱり最初は文句だらけで、全然書き始めようとしなかった学生たち。でも、励まし続けると、みんなちょっとずつ書き始めて、なんと、10分後にはシーン!まさか、このクラスがこんなにシーンとなるとは!!くらいの勢いでみんな文章に自分の思いをはせていました。普段は「俺、勉強しねーし」オーラを放ちまくっている学生もしっかりと自分のやりたいことを紙にぶつけてきます。それを読んだ瞬間、なんか「あー、今まで彼らのことうわべだけでしかみてこなかったなあ」と反省。と同時に、文章ってすげー!と実感。


メール世代は文章を書けないといわれますが、メール世代だからこそ、短いアイディアは豊富で、文章を書くのもめちゃくちゃ苦手っていう子はいない。これから、この授業で彼らが論理的に書けるように責任をもって教えていきたいです!!