中国語ではヨーグルトを飲むって言います。

「言葉を学ぶことは、その文化を学ぶこと」とよく言われますが、まさにその通りだと思います。
言葉を見れば、その言語を話す人たちが、その対象をどのように捉えているのかがわかるからです。

例えば、
日本語「薬を飲む」
中国語「薬を食べる」吃药
英語「薬をとる」take medicine

こういう違いを知ったときの面白さというのは、言葉を学ぶ上でたくさんあると思います。
でも、こういうことに興味のない人や、とにかくそんなことよりもコミュニケーションできるようになりたいと
考えている人にとっては、言語を学びながらその文化を垣間見て楽しむというようなことは必要ないでしょう。

しかも、英語については国際共通語となっている今、
コミュニケーションツールとして学ぶことのほうが多いかもしれませんね。
非ネイティブ同士で話すことなどを考えれば、
お互いの母国語が英語に反映されてしまっている可能性が大ですので、
そういう点からみると、英語はその時点で、「英語圏の言語」以上のものになってしまっているように感じます。

私の考えている英語教育プログラムも、英語を学ぶことを通して英語圏の文化を感じるというよりは、
英語を使ってコミュニケーションできるようにしよう!というのが一番の目標にきているので、
テキストを学びながら特に英語文化を学ぶようにはなっていません。
「英語圏の文化や、きれいな英語を身に付けることが大切だ」という意見をきくたびに、
自分の考えていることが言語化できずに、むむ…となってしまっていたのですが、
以下の本を読んでいて、なるほどなーと思わされました。


"But Globish does not aim to be more than a tool, and that is why it is different from English. 
English is a cultural language."
(Jean Paul Nerriere, David Hon "globish - The World Over")

(※グロービッシュ(globish)とはグローバルに使える共通語を目指して
フランス人のジャン・ポール・ネリエールが提唱した、英語の一種です。)


私の考えている英語教育プログラムの英語の位置も
まずは、「コミュニケーションツール」以上にはなり得ないなと思います。

トラックバック