失敗して当たり前と考えよう

ブラジルのサッカー界で有名な言い伝えに
”負けることを恐れると、勝つ意欲まで失う” から気をつけろ
という言葉があるそうです。あるサッカー選手が言ってました。

この言葉は、今の私をよく表しているな‐と思っています。
こんにちは、仁藤です。

現在、私達は研究活動をはじめて11年目です。
ある程度形になってきた途端、私自身も”負け”というか”失敗”を
恐れるようになってきてしまったところがあります。
(今は改善されています)

私達の活動は、道無き道を勝手に進んできました。
雑木林に自分たちで道を作ってきました。
けもの道を行くなかでは、形がきれいなことを求める余裕なんてなかったし
失敗のほうが当たり前だったので怖くもなかったです。

でもある程度道が出来てきた途端、
出来ていない方が目立つようになってきました。
これまでのけもの道だと些細なデコボコは気にもなりませんでした。
でもある程度道ができていると、小さなデコボコが気になりはじめます。

つまり、ゼロからイチを作る過程では、出来ることの方が少なかったので
1つ1つ”出来たこと”を見つけては、達成感を得る毎日だったのに、
イチがある程度出来てからは、出来たことが当たり前になり、
次は出来ないことが目立つようになったということですね。

つねに、希少な方が目立つってだけですね。
(サービスがある程度できあがった世の中に生きる若い人たちが
失敗を恐れる理由もここにあるのではないかと思います。)

ということで、3月頃の私は、昨年度1年間の自分の仕事の
出来なかったことに目が向いていて、反省に反省を重ね、
出来ないことばかりの自分を責めておりました。
その結果、生まれてきた気持ちが”失敗しないようなことをしよう”です。
失敗を恐れるあまり、挑戦する気持ちまでポキっと折れてしまいました。

でも、やめました。私らしくない思考だと気づいて、離れました。

なんのこっちゃない。
自分が立っている後ろに道が出来ているだけで、
目の前にあるのは、いまだ雑木林なのです。
過去に作った道にごみが落ちているのが見えて、それが悪目立ちしてますが、
それを1つずつ拾って、過去の道を、さらに綺麗な道にするよりは、
今眼の前にある道無き道に足を踏み出したほうがよいでしょう。
過去と他人は変えられないとも言いますし。

だからこそ、冒頭のことばが胸にしみました。

”失敗に怯え、進む意欲を失って”、目の前のことを適当にこなさないように
過去のことを考える暇があったら、一歩足を前に踏み出したいと思います。

※今日は上対馬高校の初回授業でした。
 なかなか新しいネットワークが安定せず…、申し訳ないです。
 未来を一歩ずつ改善しなくちゃ。

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