2012年1月

長崎に行ってキターーーーーー(2週間前)

長崎に行ってきました。
といっても2週間前です。

nagasaki.jpg

いつもは遠隔で授業を行なっているので、
生徒に初めて会うというシチュエーション。

(初めて私を全身みることになるから、太っていると思われたらどうしよう…)
という不安を抱え、いざ長崎へ!!!
1日目は、長崎東中学校
2日目は、上対馬高校
という強行スケジュールで訪問させていただきました。

両校とも、私が訪問することは生徒に伏せて
びっくりさせちゃおうぜ!!!という作戦を先生とねりねり。

東中学校は、最初私と気づかずに…(笑)
登場から20秒後位に
「あ!!!仁藤先生やーーー。本物やー」という反応をいただきました。
ふぅ、よかったよかった。

上対馬高校は、先生たちがサプライズ企画を用意してくれておりました。

<サプライズA組@上対馬>
1.まず私はテレビカメラ上に登場。
  しかしこの映像は実は隣の部屋からの配信。
  パワーポイントは隣の部屋から無線で操作(仁藤の持参品)
2.いつもどおり授業を始める。
3.新年最初の授業なので仁藤の今年の目標を発表
 「今年の目標は上対馬のみんなに会いに行くことです!」
4.「では、今から上対馬に行きたいと思います!!」
 で、隣の部屋へ駆け込み、みんな大騒ぎ。

<サプライズB組@上対馬>
1.A組全員を隣の教室へ閉じ込める(私がいることを知ってるから)
2.A組みと同じ流れで授業スタート
3.授業冒頭に、「新年最初なので今日は鈴鹿の生徒が遊びにきています。
 特別に生徒を紹介しますね!」と言いながら、上対馬A組みの生徒を紹介。
4.そのまま、A組とともにB組の教室へ乱入
5.生徒大騒ぎ

以上のような流れでした。
いやー、盛り上がりました。
楽しみました。

もちろん、ちゃんと企画したとおり読解の授業を行いました。
最後にはみんなで記念写真まで撮らせていただき、本当に伺ってよかったです。
両校の先生方本当にありがとうございました。
校長先生、本当にいつもありがとうございます。

写真たくさんとったんだけど、生徒がバンバン写っているので掲載ができなくって残念残念。

市長との対談

鈴鹿市市長にお時間を頂き、昨年の授業内容などを
ご報告させていただきました。

CIMG0685.JPG

(あれ、なんか写真が横むいてる…。どうやって縦にするんだろう。ま、いっか。)
(っていうか、私太ったなー。痩せなくちゃ…。あとO脚が目立つ…。直したい。)

市長は、昨年2年生の
「公と私」について考える授業の中で議論に参加していただきました。

その1つの成果として、2年生のYさんが岐阜経済大学の賞へ
公と私をテーマに論文を送り、見事入賞したことをご報告しました。


また今年も授業に呼んでくださいと言って頂けて非常に光栄です。
大人と議論するという経験は、生徒にとっても非常に良い機会です。
こちらこそ、是非もう一度市長には来ていただきたいです。


先生としては、こうやって生徒が学ぶ環境を作ることも仕事のひとつですね。
生徒の刺激になるだろう人たちを学校にどんどん呼んでくる。
ただし、それを1つのイベントとして終わらせないために、
市長を呼ぶことを目的とせず、しっかりカリキュラムを作ることを第1の目標として
きちんと読解と記述を行い、市長と議論するベースを作る必要があります。

来年度も楽しみになってきました。(今年度でもいいんだけど…)

半学半教

あらためて、福沢諭吉さんはすごい人だなと思います。

「半学半教」という言葉は、
先生としていつも自戒しなくちゃと思っているものの、
とっても難しいモノでもあります。

でも、私はたかだか28年しか生きてないし、
しかも、28歳だけど気持ち的には10代と変わってないというか
失敗することに怯えなくなったり、いろんな生き方を認められるようになったりしてはいるものの、
まだまだ知識も教養も足りないし。ふにゃー。

だから、生徒に全てをただ教えるなんて無理です。ごめんなさい。
まだ、私も成長の途上。
これからもずっと、成長し続けます。
そういう意味では生徒と一緒の立場。

だから、やはり教育は互いが教え合う
伸ばし合うしかないんだと思うのです。

そのことを授業にもっと取り入れたい。
一方的に教えるのではなくて、
生徒の発言から気付きがあるような、
そんな授業を設計したいです。

それには、まだまだ知恵が足りてません。
だから、そういう教育を行なっている人を探して学びにいきたいなー。
私にはもうすぐ2度目のキャリアチェンジがあるやも、ないやも。ふむふむ。

嫌われるということ

嫌われるということを、人は気にします。
これ、教員も気にします。

例えば、生徒の多くから人気を得たいと思う人もいます。
そして、それが実現できる人もいます。

私は、といえば・・・・、全員から好かれるなんて無理だと思っています。
私みたいに変わった活動をしている人は
嫌われることの方が多いです。

元来不器用だし、熱い想いがある割には大雑把だし。
まー人間、悪いところを見つけようと思えばどんな人でもざっくざく出てきます。
でも、だから面白いんだと思ってます(いや、思いたい)。

嫌われない先生は、どちらかと言えば角がない先生でもあると思うのです。
生徒に本当の意味でぶつかってない。(と言ったらいいすぎか・・・)
さらにいうと、先生も人です。
好き嫌いありますよ。

私の言葉が響く生徒もいれば、私のことなんて大っきらいな人もいる。
逆もあります。
私の目からみると、すごく才能があって評価したい生徒も、
ほかの先生から見ると評価に値しないことがある。(逆もしかり)
それが当たり前の姿ですね。
でも、だからいいと思うのです。

ひとりの先生が15人くらいの学生に目をかけて、
評価し、励まして挙げられたら、
個性的な先生の数が増えれば増えるほどすくわれる(すくうと救う)生徒が増える。
先生が自分なりの個性をもって、
つまり自分なりの評価軸をもって(Not偏差値)生徒に接することができたら、
自分のことを肯定できる子が増えるのではないかと思うのです。

本当の意味で学校がセーフティネットになる。

今の学校はどちらかというと
部活か勉強となっている気もする。
もっとたくさんのものさしが、学校にも世の中にも増えればいいなー。

にとう

ながーーーーい目でみる

張り切って更新します。
というのも、元々このblogは誰も見ていないと思っていたのに、
年末年始に読者がいることが発覚したのです。

そして、その読者とは、
あろうことか、父親と高校時代の恩師(笑)

ということで、2011年は、
「更新します!毎日更新します!」といいながら
次の日から3ヶ月書かないといった、私らしい内容になっていましたので、
2012年は、昨年よりも多くの記事を書く事をここに宣言します。
毎日とはいいません。むしろもう言えません。
昨年よりは、そこそこ書いている状態を目指します(目標低っ!!!!)

さて、T先生みてますかー?
読んでいただけていること、光栄な反面恐ろしいですよー(笑)

☆彡☆彡☆彡
私は日々放課後に教室を開放して
生徒と話し合ったり議論したり、国語の学習を手伝ったりと
個人指導に明け暮れています。
昨日は、とある1年生の悩みを聞きつつ、
3年生の受験直前の生徒の指導をしていました。

その中で嬉しかったのは「仁藤先生に教えてもらって国語だけが今自信もてる」と
言ってもらえたことです。確かにその生徒はぐんぐん伸びているので、嬉しい限り。
でも、よくよく考えると私がやったことって根気よく励ますこと。
そして、褒めるポイントを探して探して、良いところを伸ばすことだけ。
あとは、本人が頑張ったんです。

そう考えると先生がやれることなんて少ない。
でも少ないようで影響がある。


最近は時間のサイクルが早くなっている関係で、
高校生も自分の人生を見る目が近視眼的になっているのが気になります。
大学受験も高校受験も、人生80年で考えるとちっぽけな出来事。
そこで、傷を抱えたとしても、何ども再チャレンジ出来るし、上塗りできるのです。
これは、大学を卒業してからひしひしと感じています。

私なんて、高校時代は勉強できてなかったし、
むしろ嫌いだったけど、ずーーーーーっと成長したいという気持ちだけは
持ち続けてきました。
その結果、大学卒業時には研究室の優秀賞をいただけたし、
やっとなんとか個人名で仕事ができる環境を手に入れました。
そして、なにより今が楽しい。いつも、今が楽しい。

人生なんて、大学名でも高校名でも、役職でも語れません。
むしろそういう過去の肩書きを誇っている人に限って、成長してない証拠。
だから、高校生にも近視眼的に学んで欲しくないし、
近視眼的な視点での評価に負けて欲しくない(●●大学なんかに合格したら恥だとかね)。
大学受験失敗したって、編入って手もあるし、大学院で自分の好きなことが学べるところへ
入り直すこともできる。むしろ、大学受験失敗って何さ・・?
偏差値的に高いところに合格して、両親や周囲にすごい!っていわれても、
その大学に入って、自分の時間を全て打ち込める研究とか勉強に出会えなかったら
失敗なんじゃないですかねー。うーん。
学ぶって楽しい!って気付けず、ただ単位を取るだけの大学生活や、
入った瞬間から就職の対策をする大学生活なんて、大学に行く意味あるんですかね。

留学生がよく言いますよね。日本の大学生は学ばない。
これは、受験のような学びの話ではありません。
自分の知的好奇心を全開にして、何かを追いかける学びのことではないでしょうか。

まー、もし本人的に失敗したと思っても、
その傷ついた分、その人の魅力が増える。
そして、その傷を受け止めて、また成長して欲しい。
さらに、思う通りにいかなかったときこそ、運を貯金していると思うなー。
その貯めた運をいつ使うかは、そこからの努力次第。
運を貯金したままで終わる人は、過去を悔やんで先に進まない人。

フレーフレー高校生。
人生何歳になっても先は明るい。いつだってやり直しできる。
人間、いつ何時であっても太陽を探して進むことができる。
だから、今の一瞬だけで自分を枠にはめないでほしい。

そんなことを考えた午後です。
今から九州にむかいまーす。来週は長崎で授業をするのだー!

手を出しすぎないということ

新しい年がはじまりました。
とはいいつつ、日々は続いているので新年だーという感覚は
年々薄れていっています。
学校で生活していると、新年という区切りより年度の区切りの方が
しゃきっと背筋が伸びる感覚があります。


さて、明日から論理コミュニケーションの授業3学期編がはじまります。
明日はオリエンテーション的な授業ですが、今回の3学期は
internationalとは何かについて3ヶ月かけて考えいくプランを作りました。

その中でいきなりシンガポール出身の研究者に英語で授業をしていただきます。
生徒たちの反応が今から楽しみなのですが、
確実にいきなり全て英語の授業に戸惑いを見せると思います。

でも、その時に先生が助けすぎないというのが大切なのではないかと考えています。
私が通訳をしてしまうと、いつもの授業になってします。
全く相手のいっていることがわからなくって、どうしよう!!!という困惑が
生徒の主体的な知恵を刺激して、成長のきっかけになると考えているのです。

今の教育は手を出しすぎています。
どの問題集を使うかも先生が決め、
宿題を出すタイミングも大人が決め、
志望校は先生と親とじっくり話し合って決める。
夏休みも冬休みも宿題満載で自分で考える暇もなし。

この状況では、生徒が突然生じた問題に自分たちの頭をこねくりまわして解決する瞬間というのが
どんどんなくなっています。
恐ろしいことに、小学校から塾通いをしている子供たちは、
小学生低学年のうちから、大人が指示する学習をこなしていくんですよね。
私は、そんなのいやだなー。自分の道は自分で決めたいなー。

でも、大人は子どもが失敗するのを我慢できないんですよね。
いやいや、そっちにいったら失敗するからこっちにしなさい!とつい言っちゃう。
でも、世の中絶対失敗しない道なんてないと思いませんか?

経験上、自分で選んで決めた道での失敗は
自分で尻拭いできます。というか、しないといけない状況になり、
それが私を成長させるのです。

だから、私はもっと余白がある教育を目指したいと思っっています。
もーっと自由に。
先生が言うからって本当じゃないし、
私の言うことに反発したっていいし。
だって、私自身もまだ途上のにんげんだもの。
お互い間違うことだってある。何事もお互い様なのです。

生徒には、どんどんぶつかって、どんどん大きくなって欲しい。
そして、自分の個性を大切にして欲しい。

「出る杭を尖らせる」

そんな人になりたいものです。