手を出しすぎないということ
新しい年がはじまりました。
とはいいつつ、日々は続いているので新年だーという感覚は
年々薄れていっています。
学校で生活していると、新年という区切りより年度の区切りの方が
しゃきっと背筋が伸びる感覚があります。
さて、明日から論理コミュニケーションの授業3学期編がはじまります。
明日はオリエンテーション的な授業ですが、今回の3学期は
internationalとは何かについて3ヶ月かけて考えいくプランを作りました。
その中でいきなりシンガポール出身の研究者に英語で授業をしていただきます。
生徒たちの反応が今から楽しみなのですが、
確実にいきなり全て英語の授業に戸惑いを見せると思います。
でも、その時に先生が助けすぎないというのが大切なのではないかと考えています。
私が通訳をしてしまうと、いつもの授業になってします。
全く相手のいっていることがわからなくって、どうしよう!!!という困惑が
生徒の主体的な知恵を刺激して、成長のきっかけになると考えているのです。
今の教育は手を出しすぎています。
どの問題集を使うかも先生が決め、
宿題を出すタイミングも大人が決め、
志望校は先生と親とじっくり話し合って決める。
夏休みも冬休みも宿題満載で自分で考える暇もなし。
この状況では、生徒が突然生じた問題に自分たちの頭をこねくりまわして解決する瞬間というのが
どんどんなくなっています。
恐ろしいことに、小学校から塾通いをしている子供たちは、
小学生低学年のうちから、大人が指示する学習をこなしていくんですよね。
私は、そんなのいやだなー。自分の道は自分で決めたいなー。
でも、大人は子どもが失敗するのを我慢できないんですよね。
いやいや、そっちにいったら失敗するからこっちにしなさい!とつい言っちゃう。
でも、世の中絶対失敗しない道なんてないと思いませんか?
経験上、自分で選んで決めた道での失敗は
自分で尻拭いできます。というか、しないといけない状況になり、
それが私を成長させるのです。
だから、私はもっと余白がある教育を目指したいと思っっています。
もーっと自由に。
先生が言うからって本当じゃないし、
私の言うことに反発したっていいし。
だって、私自身もまだ途上のにんげんだもの。
お互い間違うことだってある。何事もお互い様なのです。
生徒には、どんどんぶつかって、どんどん大きくなって欲しい。
そして、自分の個性を大切にして欲しい。
「出る杭を尖らせる」
そんな人になりたいものです。
2012年1月11日 13:44 | 記入者: 仁藤