嫌われるということ

嫌われるということを、人は気にします。
これ、教員も気にします。

例えば、生徒の多くから人気を得たいと思う人もいます。
そして、それが実現できる人もいます。

私は、といえば・・・・、全員から好かれるなんて無理だと思っています。
私みたいに変わった活動をしている人は
嫌われることの方が多いです。

元来不器用だし、熱い想いがある割には大雑把だし。
まー人間、悪いところを見つけようと思えばどんな人でもざっくざく出てきます。
でも、だから面白いんだと思ってます(いや、思いたい)。

嫌われない先生は、どちらかと言えば角がない先生でもあると思うのです。
生徒に本当の意味でぶつかってない。(と言ったらいいすぎか・・・)
さらにいうと、先生も人です。
好き嫌いありますよ。

私の言葉が響く生徒もいれば、私のことなんて大っきらいな人もいる。
逆もあります。
私の目からみると、すごく才能があって評価したい生徒も、
ほかの先生から見ると評価に値しないことがある。(逆もしかり)
それが当たり前の姿ですね。
でも、だからいいと思うのです。

ひとりの先生が15人くらいの学生に目をかけて、
評価し、励まして挙げられたら、
個性的な先生の数が増えれば増えるほどすくわれる(すくうと救う)生徒が増える。
先生が自分なりの個性をもって、
つまり自分なりの評価軸をもって(Not偏差値)生徒に接することができたら、
自分のことを肯定できる子が増えるのではないかと思うのです。

本当の意味で学校がセーフティネットになる。

今の学校はどちらかというと
部活か勉強となっている気もする。
もっとたくさんのものさしが、学校にも世の中にも増えればいいなー。

にとう

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