自分でルールを作ろう。
本当の意味で仕事が出来る人、本当の意味で勉強が出来る人は
「自分でルールを設計できる人」だと思います。
特に勉強面において、自分がどういう状況で集中できるか
自分は今日・明日で何をすれば目標の大学に届くのか、
自分が証明したいこのことを論じるためには、何をすればいいのか、
すべて自分で考えることが出来る人が伸びていくと思います。
ということを日々思っていたら、堀江さんも同じこといっていました。
やらされる事を我慢する力だけでは、人生切り開けません。
常に的確な指示を出せる、そんな完璧な優秀なリーダーこの世にいませんから。
いたとしても出会える可能性の方が低い。
さらに万が一、そのようなリーダーに会えたとしても
「やらされること俺、すっごい我慢できます!」なんて姿勢では
そのリーダーと真の仲間にはなれず、だれでも代わりがきくメンバーになってしまいます。
いわゆる「指示待ち人間」ですね。
私自身がリーダーだとしても、メンバーには自分が指示した内容が無理難題だとしたら
それに我慢する暇があったら、無理じゃないやり方を自ら設計&逆提案して欲しいです。論理的に。
感情的に「もう無理です!」とか言われても困るので。代案がほしい。そういう仲間がほしい。
自分で「やる事」を作らないといけないのです。
学校の勉強とは、この力をつけるのに最高の環境ではないでしょうか。
なのに、今の学習環境はルールが整いすぎている。
子どもが創る隙間が無いほど、ルールが作られている。
例えば、幼少期から取り組む”わかりやすく書かれた教材”
もう大人がゴリゴリ作ったわかりやすさ満載!Theエンタメ!
でも、これに慣れると中学・高校・大学で、自分で創ることができなくなる。
そういう環境で育った子はくちぐちにいいます。
「もっと教材をわかりやすくしてください」
「もっとわかりやすい授業をして下さい」
「もっと漫画を増やしてください」
「もっと読みやすくしてください」
「1つできるたびに、シールとか貼る仕組みにしてモチベを維持させてください」
うん、自分でやろう?自分で作ろう。
そういうの、自分で設計するから楽しいんだよ。
仮に大人が折れて、そういう設計をしたら、その子はますます
「誰かがやってくれるの待ち人間」になります。これが指示待ちの正体。
これでは、仕事をする時に一番一緒に仕事がしたくない人間を
作り出しているのと同じではないですかね。
でもでも、子どもは被害者です。
この子どもたちの超受け身、超お客様姿勢は、大人が創りだしたもの。
手を出し過ぎなんです。困難なことを子どもの目の前から取り除きすぎ。
先生をしていると、分かりやすい授業をすることは大切です。
でも、時にはわかりにくいことを承知の上で、
批難がほうぼうから来ることも承知のうえで授業をする必要もあります。
大人は、そういう短期的な批難・批判に、時に耐える必要がありますね。
その時の、耐える力になるのは、しっかり設計していることです。
設計した上で、批判がくることも計画済みで、その後の展開まで設計しておく、
そうすれば、感情的に落ち込むこと/レベルを最小に抑えることが出来ます。
といっても、まだ自分自身がこの境地には達していないことを
最後にご報告します。
さて、今から重要な会議にいってきます!
2013年10月20日 10:32 | 記入者: 仁藤