学ぶ内容は誰が決めるべきか

昨日の長崎県での授業は
表題の「学ぶ内容は誰が決めるべきか」について
みんなの意見を発表し議論をしました。

なかなか、活発に議論するとまではいかず
進め方の難しさを痛感しました。

ともあれ、このテーマは非常に難しい問題でもあります。

2つの論が考えられ、どちらも正しいからです。
1つは、学ぶ本人である生徒がきめるべき。
もう一つは、本人以外(先生や親や先輩)が決めるべき。

今回の授業では圧倒的に生徒が決めるべきという意見が多かったのですが、
それは私が授業の中で渡した灰谷健次郎さんの「自立する権利」という文章が
生徒の心に響いたからだと思います。

ただし、授業の中では「大人が決めるべきだ」と主張する文章も
紹介しました。あの斎藤孝さんも同じ論を著書のなかで述べていますが、
「まだ物理を学んでいない子どもに物理の楽しさなどわかりようがない」から
子どもに学ぶ内容を選択させるなんて、可能性を潰しているようなものだという論です。

尚、学ぶ本人が決めるべきだ派のサポート資料としては
「市場の真実」Byジョン・ケイを読みました。
集権主義(リーダーシップ)の危うさについて書かれた資料です。

どちらも正しいです。
たしかに、子供たちはまだ学ぶ内容を知らないのだから、最初から自分で選ばせるなんて無理…。
でも市場の真実がいうように、人間は誰しも間違うのだから、先生や親に全てを頼るなんてことは非常に危険。

教育を受ける機会は平等であるべきだから、全員が主要な教科を経験する必要はありますね。
経験して初めて自分にあっているか否かがわかるというもの(かな?)
でも、だからといってずーっと与えられた勉強をこなすだけというのは、少し違う。
やはり、いつかのタイミングで、自分がどの道を選ぶのか決める必要はありそうです。


そのタイミングがいつか…
高校入学時という人もいれば、大学入学時、大学3年生くらいからという人もいる。


私の個人的な考えは、そのいつかというタイミングさえ個人差があるということです。
浅田真央ちゃんや石川遼くんは、小学生の頃から選択しています。
特に石川遼くんの高校生からプロになるという決断はとても重く、その決断が出来ること自体もうプロです。

今の教育は効率という面で一斉教育を行なっています。
でも人が主体的に学ぼうとおもったり、憧れを抱く対象に出会ってもっと伸びたいと思ったりする
タイミングや対象は個人個人で異なりますよね。
だから、やはり大学入学時からは選ぶべきだ!とかそういう金太郎飴のような議論は無意味な気がしています。
(ん?金太郎飴のような議論って意味通ります?紋切り型といったほうがいいのか。)



そう考えると、あぁ教育って難しい!!!!
結局はやはり一人ひとりを見るしかないわけですね。

(;゚Д゚)!ガムバリマス。

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