9月に突入

9月となり、いよいよ本格的に新学期がはじまりました。
といっても、論理コミュニケーションを実施している学校は8月のお盆明けから
授業が始まっているところが多く、すでに新学期は始まっておりました。
(生徒も、先生も大変ですねー。)

私は、論理的な文章を記述する授業を行っていますが、
その中でいつも「一人称」で書こうと伝えています。
つまり、”じぶん”が大切だよということです。

どんなに理路整然と書けていても、そこに”じぶん”がいなかったら
そもそも文章書く意味ないです。
何かが言いたくて書くのです。言いたいことを見つけるために書くのです。
客観的に聞いた話をつらつら並べても魅力的ではありません。

昨日の授業で、生徒がゲストの方に同じことを指摘されていました。
「じゃ、じぶんはどうするの?上手く書けているけど、それ以上じゃない」と。
むーん、この会話を聞いていて、誰よりも私が悔しかったです。
あー、もっと一人称の大切さ、じぶんを表すことの大切さを伝えなくちゃ
カリキュラムとして育成しなくちゃと、生徒が出来なかったということは、
私の責任だと思いました。ごめん、生徒よ。

でも、意外と文章のなかでじぶんと向き合うことって難しいんですよね。
その気持もわかるんです。どうしても他人事のように書いちゃう。
それは、授業の中ではテーマを勝手に選ばれて書かされているという
理由があるのだとは思いますが、でも本当に力がついたら
どんなテーマであれ、自分の身の回りに置き換えて検討できるようになるのです。
でも、そのためには何度も何度も”考える”ことが必要です。

ただ、授業の中でやらされるままに書いても意味が無いんだな−。
そこでいかに論理に向き合って検討できたかどうかなんではないかなー。
そうすれば、多少の論理の飛躍も気にならないほど、中身が良くなると思います。

でも、生徒がそう出来るように成るには、もっともっとカリキュラム設計が必要ですし、
個別対応が必要です。
そうです、個別対応です。
文章は誰かに伝えたくて書くものだから、まずはそれを先生が受け止めて
返事をしてあげないと、書く気力が無くなります。
だからこそ文章の授業は個別対応が基本なのです。
でも、だからこそめんどくさく、嫌がられるカリキュラムでも有りますが。

私は、そんな全国の先生を助けるための仕組みを作らなくてはいけません。
なかなか、なかなかどっこい、なかなか苦戦しております。
まず、私が成長しないといけないですな。

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