ふと考えました。
いや、ふとなんてもんじゃないですね。
最近ずっと考えていることがあります。
「教師って何が出来るんだろう」ということ。
人が人を教えるなんて恐ろしいことで、
長く生きているからって偉いわけじゃないし、
勉強してもしてもし足りないし、社会の全てを知らないし、
教師なんてそんなもんです。
私は変な働き方をしているので、学校以外での活動が多いのですが、
多くの先生は毎日の業務に追われ、学校内に閉じてしまいがち。
そうすると、ますます「私に何が教えられるんだろう」という疑問が湧いてきます。
私も、ずっと考えています。
人を変えることなんて無理です。
だって、私なんかの力で変わっても、私が全てをわかるわけなくて、
私の二番煎じを作っても全く意味なくて。
私を超える、私が思いもしない道を見つける生徒を育てられなくなります。
そこで最近考えたこと。
私達教師は、社会の条件から一歩離れた挑戦する機会を
生徒に創ることが仕事なのではないかということです。
生まれた環境や、育った環境、いろんな条件で子どもが挑戦できないことがあります。
自信がなかったり、お金がなかったり、コネクションがなかったり、学力がなかったり。
それらの条件を家庭から一歩離れたところで、整理して挑戦する機会を与えることができたら…。
その挑戦の形は生徒それぞれ多種多様であるべきです。
私が教えることが出来る知識なんて数少ないのだから、その挑戦する機会の中には
学校外の知識に自由にアクセスできるチャンスも含めておきたい。
その意味で、遠隔教育はとても重要なツールになるでしょう。
大学の授業を高校時代にとってていいし、海外の授業を受講もできる。
話を聞いてみたい人の講演を自由に見れる。
このくらい学びの場を広げてあげる事が、生徒には必要なのではないかと。
でないと、教師のもつ狭い知識の中で学んでしまう。
私は、それがとても怖い。
自分が至らない人間だからこそ、私に頼る生徒を見ると怖くなる。
そして、そのように広がった学びの世界で疲れたら帰ってくる場所が高校の先生。
自信がなくなって返ってきた時に、大丈夫だよ成長しているよと背中をもう一回押してあげる。
それが、学びなのではないかと。。。
そんなことを考えました。
2012年11月25日 14:11
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記入者:
仁藤
師走です。
文字通り師走です。
全国の先生、受験指導、お疲れ様です!
私の性格を物語っている言葉は「成るようになる」です。
今日一日を精一杯生きれば、その先はなんとかなる。
そんなふうにいつも考えています。
だから、大きな失敗をしたとしても、謝罪に誠意を込めれば、
そしてその失敗を取り返すほどの努力が出来れば、後は天に任せるべしと
考えています。このやりかた、とっても気が楽です。
こう考えるようになって、失敗が怖くなくなりました。
だから、同時にあまり人生のキャリア設計なんて考えていません。
なんとなく、仕事を続けて社会に関わっていたいとは思っていますが、
10年後にあれを達成しよう!という明確な目標はありません。
そのかわり、今任されている仕事で誠意を尽くすことだけを意識して過ごしています。
そのことが、私をその先に連れて行ってくれると思うからです。
短期的なスパンで明確な目標を決めすぎると、大きな実を取り落とすような気がするのです。
小さな目標に執着すると、その目標達成がメインになって、他のやり方を
柔軟に検討できなくなるような気がしています。むしろ他のやり方を嫌い排除するようになってしまいがち。
第3の道や思ってもみないアイディアって、そういう執着がないところに現れると思うのです。
できる限り変化に対応できるしなやかな人でいたい。
もうすぐ30代。そういう女性を目指したいです。
もうすぐ30代…もうすぐ30代…もうすぐ30代…もうすぐ30代…(エコーのように響く)
2012年11月 6日 16:47
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記入者:
仁藤
11月が来てしまった!
時がすぎるのは早いですね。
全国の先生の皆様、AO推薦入試のピーク、
ほんっとお疲れ様です。
私も毎日夜な夜な生徒からメールが届き、
生徒へ添削し、面接し、グループディスカッションし、
そして添削添削添削。小論指導。
師走に向かう、恒例行事の時期がやって参りました。
ほんと、全国の先生方、お疲れ様です!!!!!
その気持ち、痛いほどわかります。
最近意識しているのは、生徒が先生に依存する率を
いかに下げるかということ。
どうしても生徒は先生を絶対視しすぎる傾向が。
先生なんて、くだらない人間ですよー。
まだまだ学びたりない人間の集まりですよ。
そんな人に全てを任せるなんて、怖くないかい?
私の理想は、もっと生徒自信の力で歩いてもらうこと。
もっと自発的に学んでほしい。生徒が私を頼ってくるたびに
私の授業では自発的な学びを育成できなかったのだろうと
自戒と反省をしております。
先生が答えを知っているわけじゃない。
私の添削なんて、低レベルです。
努力はしていますが、私の考えることなんて浅はか。
生徒には私に合わせてほしくないし、
私が添削すれば受かるなんて思ってほしくない。
そして、私の添削を待たなければ提出できないなんて
もってのほか。
でも手助けをしたくなるのも、先生の心情。
毎年この時期は、教師ならではのジレンマに落ち込んでます。
もっともっと、私自身が成長しなくちゃですなぁ。
私がなりたいのは生徒が失敗した時にだけ存在感をます先生です。
失敗したら、ここに戻ってくればいいと思える場所になりたいなー。
でも、逆に生徒が挑戦しているときは、私の存在なんて忘れて欲しい。
私の指導によって大学に進学したと考えてくれている生徒もいますが、
そんなことは意識しないで、自分の力でここまで来たんだって思って欲しい。
それが、その子が若い内の自信に、原動力になるからね。
生徒が知らないうちに力を貸していた、そんな存在の薄い先生になりたい。
そんで、生徒が精神的に自律した時に、昔の俺は
先生の力があってここまで来たんだなー。
でも、いまは自分の力で真の意味で自立できたなーと
そんくらいの思い出しくらいでいいなー。
だから、今は「先生のお陰で受かった!」とか
「先生のおかげで伸びた!」とか「先生ってすごい!」とか
言われると、まー正直嬉しいですが(笑)
でも心のなかでは「私は一流の教師になれてないなー」と
反省してしまうのです。
生徒が自分の力だと自信持てる位の影のサポートがしたい。
そのほうが生徒を自律させて次に送り出せる気がする。
俺、1人でここまで育ったし!
みたいなことを言ってくれる生徒を育てなくちゃ。
その言葉を聞いて、裏でしめしめって思う先生になりたいな。
2012年11月 3日 16:07
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記入者:
仁藤